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夏が去り、海も空もくっきりと秋涼たる色が青みを増す。
「色なき風」と呼ばれる秋風は、
ほかの季節にはない独特の風韻があり、
哀愁に満ちた切なさがある。
空は澄み切り、空気は凛として爽やかだ。
そして、鰯雲を茜色に染める夕日が
やさしく空を包む情景は、心なごむ暖かさを感じる。
秋の空に、ひときわ高く聳え立つ富士山。
古より多くの人が
その雄大さ、美しさを万葉集に詠んでいる。
一説によると、富士山は
約10万年前に誕生したと言われる。
現代では悠然と聳え立つイメージが定着しているが、
実は、その地下には今でもマグマが赤々と燃えさかっているのだ。
文豪 吉川英治は
「あれになろう、これになろうと焦るより、
富士のように黙って自分を動かないものに作りあげよ」
と語っている。 (小説「宮本武蔵」から)
富士のように堂々たる自己を築き上げるには、
その根底にマグマの如き情熱が必要なのであろう。
年を重ねるごとに、自分らしく揺ぎない人生を送りたいと
秋の空を見ながらしみじみと想った。
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(伊藤)
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初秋の花の野に、陽は柔らかに秋の桜が風にうなずいている。
秋桜の園に立つと、
誰もが懐かしく平和な気持ちになり
心が穏やかになる。
コスモスの名前は、
ギリシャ語のコスモスからきたそうだ。
宇宙、あるいは調和のほか、
美、装飾などの意味がある。
まさに花の美しさから名づけられたのだろう。
宇宙のような巨大なものと、
秋桜のような可憐なものが同じ名前なのに、
決して不思議ではない。
花は一つの宇宙であり、宇宙もまた一つの花であるからだ。
時折り、風が走る。心から心へ。
心を運ぶ使者とも感じられる。
風は見えないが秋桜の花の揺れに風が見える。
心も見えない。見えないけれど、
花と咲く人の姿に、心は見える。
一生懸命に生きて、自分の人生を輝かせる人には、
どんな障害も関係ないのだろう。
秋桜は、生命の賛歌を歌うために、
太陽へ向かって手を伸ばしながら、
大合唱しているかのようである。
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(伊藤)
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輝くばかり、陽気に咲くひまわりの花。
まさに太陽のイメージそのものである。
「向日葵」と書くのは、太陽に合わせて
花の向きを変えるからと言われている。
ニューヨークで開催された絵画のオークションで、
ピカソの油彩画が約一一三億円で落札され、話題を呼んだ。
生涯に六万点とも八万点とも
いわれる作品を手掛けたピカソは
「年を取らないと、若くはなれない」と語り、
九十一歳まで絵筆を執り続けたという。
高齢化が進む日本の社会にあって、
この心の若さ≠アそ、大切な問題ではないかと思う。
無気力やあきらめといった心の老い≠ヘ、
年齢以上に最も恐れるべきものと言える。
「年を取るとは、新しい仕事につくこと」
とはゲーテの言葉。
若さとは決して年齢によって
決まるものではないことを感じる。
自己の限界を自分で決めた時から心の老い≠ヘ始まる。
ひまわりの輝きのように、
自分の目標に向かってさあ! 今日も前へ進もう。
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(伊藤)
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夏の朝を象徴する朝顔の花。
朝露をつけながら咲くはなびらは、透明感があり涼しげである。
花言葉は、愛着・喜び。
原産地はアジア、ヨーロッパ。
日本での栽培が盛んになったのは江戸時代で、
そのみずみずしさが、当時は爆発的に人気だったそうである。
近年は、庭先に咲く朝顔を見かけなくなったような気がする。
先日、若い人との語らいの中で印象に残った言葉があった。
それは「ハンパじゃない」という言葉である。
さらに、一番ひかれる人物像は、と聞くと
「中途半端ではなく、何かに打ち込んでいる人」だそうだ。
「徹する」に越したことはないが、なかなかできない。
目先の感情に流され、初心を忘れ、気持ちも分散する。
決意の弱さか確信のなさだろう。
しかし、一流と言われる人は、
どこか目に見えないところで努力している。
ある野球選手は
「一流と言われる3割打者と言っても、たった5分の差しかない」
ということに気づき、その後、地道な努力に徹して、
ついに三冠王を獲得したという。
「半端な心」との間は「毛筋ほど」の差しかないこと
に案外気がついていないのかもしれない。
今こそ、もう一度原点に立ち返り希望と勇気を持って
「徹する心」をわが命としていきたいと、語らいの中で感じた。
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(伊藤)
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梅の実の熟する頃に降る雨のことを「梅雨」という。
長雨の雨期をさし、ひと月以上にわたって、
空を曇らせ地や大気を湿らせる。
ともすれば雨は、嫌われる向きもあるが、
一方では「慈雨」ともいわれ、
旱や干ばつが続くと歓迎される雨でもある。
静かな水面に物の影が映る「水鏡」に、
ポツリポツリと小さく波紋をつくる梅雨のひとときも、
趣があっていいものだ。
人生に「引退」はない。ただただ自分らしく
前に向かって生きていくしかない。
先日、スポーツ史上最強≠ニ言われた米国の
ベーブ・ディドリクソン・ザハリアス選手の言葉を読んで感動した。
「勝つために競って、競って、競い続けている。
それが私の人生なんです。上達しつづける限り引退はしません」。
ゴルフ全米女子で三度目の優勝は、がん手術の後のこと。
引退どころか、むしろ
「障害がないと、ベストの力が出ない気がします」
と述べられていた。 (『20世紀を感動させた言葉』より)
なんと強い人だろう。
精神力が強くなければ、なかなか出来ないことである。
私にできることは、せめて、若々しく、生き生きと
精一杯生きていくことではないかと感じた。
梅雨の晴れ間に明るい光が射し込んできたようだった。
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(伊藤)
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艶っぽい、真っ赤な実をつけた さくらんぼ。
ひと房に2〜3個の実をつけるさまは、可愛らしい。
名前の由来は「桜の坊」。つまり「桜の実」という意味である。
その甘酸っぱさが、初夏の味覚として親しまれている。
原産地は、古代ローマ。
黒海沿岸からヨーロッパ諸国へ伝わり、イングランドに渡って
英語の「チェリー」になったと言われている。
先日、お世話になっている絵の先生にお聞きした。
「どうすれば、絵画が上手になりますか」と。
「徹底して基礎を学び、たくさん描くことですか、
絵に関する勉強をもっとすべきものなのですか」。
畳みかけるような言葉に、師は
「それもありますが」としつつ一言、
「上手な人と一緒に絵を描くのが一番です」と。
一人では難しい部分も、上手な人の響き≠ノつられ、
いつの間にか上達できるようになってしまうというのだ。
だから恥ずかしがらないで
ありのままに描く人が劇的に伸びるというのだ。
人間は人間との触発の中でこそ、
大いなる飛躍を遂げることができるという。
心を閉ざしてしまえば成長は望めない。
良き出会いを得て、
良き関わりを育むことが出来るかどうか。
それが充実と向上の人生につながることを教わった。
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(伊藤)
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春の山野に咲き誇るつつじ花。
雄しべは5本、または10本と数が不定のものもある。
花糸は細長く、花筒から出て先端にある小孔から花粉を出す。
花色は、白、淡紅、赤など華やかな彩りをみせる。
空気は、すっかり春。
暖かな陽ざしを浴びることで、
なんだかホッとする気分になれる。
こんな詩に心が動いた。
「心に太陽を持て。
あらしがふこうと、ふぶきがこようと
天には黒くも、地には争いが絶えなかろうと、
いつも心に太陽を持て」
(ツェーザル・フライシュレン 作、山本有三 訳『心に太陽を持て』ポプラ社)
どんな時も、明るく力強く生きようとの呼びかけである。
古来より、人類にとって太陽は、
豊譲の象徴であり、恐怖の対象でもあった。
多くの恵を施す一方、
強烈な熱で人間を滅ぼしかねないと信じられていた。
それほど太陽の力は大きいのだ。
心に太陽を持つとは、
強烈な太陽を心に持てる、強い自分自身をつくれ
との意味ではなかろうか。
私たちの心は、大きな可能性を秘めている。
それをどれだけ発揮するかが大切であろう。
人生に降りかかる雨も嵐も、自らが持つ太陽で光り輝かせたい。
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(伊藤)
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誰からも親しまれ、春のウキウキした気分を
伝えてくれる花「チューリップ」。
その名は、トルコ語で
頭に巻くターバンを意味する「チュルベント」
からきたものである。
満開になっても花の上部が閉じたままの姿が
似ているからである。
時の流れと共に、物質の時代から
確実に生命の時代に変わった。
心を開き、孤立しない自分を作るためには、
人間と人間の繋がりを大切にしていくことである。
「ドアを叩かれるほうより、ドアを叩くほうが偉いよ」
と、ある人が教えてくれた。
人間は、人間との触発の中でこそ、
大いなる飛躍を遂げることができるからだ。
逆に心を閉ざしてしまえば成長は望めない。
いかに良き出会いを得て、
良き関わりを育むことができるかどうかと思う。
それが、充実と向上の人生につながるのだから・・・。
躍動の三月。
厳しい冬を乗り越え、すべての生物が動き始める。
さあ! 新たな気持ちで目標を持って、出発をしよう。
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(伊藤)
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耳を澄ませば春の「足音」は
冬の間から始まっていることに気づく。
さまざまな春の「息吹」が囁いたり、つぶやいたりして
春が近いことを告げ、伝えたりしている。
たとえ小さな小鳥の「呟く」ような声でも、
春の予感や気配を感じる。
野山では、雪の下で
人知れずひっそりと黄色の花をのぞかせる福寿草、
枯れ木にも似た固い木から、小さなふっくらした梅の花の蕾は、
春近しを匂わせてくれる。
冬枯れの大地にへばりつく植物を真上から見ると、
みな身を低くし葉を放射状に広げ、
効率よく陽光を浴びている。
生き抜くための全てを、
長い時間かけて勝ち取ってきた証でもある。
生物には、本来、状況に応じて自らの力を
最大限に発揮できる対応力と強さが備わっているからだ。
ところで、花に目を奪われ、
それを咲かせている幹や根の存在を忘れてはならない。
目に立つ華やかさは、
それに倍する見えない部分の働きが作り出している。
自然界のすべても動き出した。
自ら動けない植物は風や水の流れを利用し
新天地を求めて旅立つ。
さあ、私たちも新しい気持ちで力強く、
生き抜いてまいりましょう。
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(伊藤)
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新年明けましておめでとうございます。
お正月は、ただ年が改まるだけでなく、
すべてのものに新しく魂を頂く時である。
ゆえに、これを祝福して
「おめでとうございます」と挨拶を交わすそうだ。
その歳神様をお迎えするのが門松である。
家の神棚や床の間には鏡餅が供えられ、
家族や親族が集まり、お雑煮やお節料理で新年を祝う、
年のはじめの行事である。
お正月は、師走のあわただしさとはうって変わって
何かほのぼのとした暖かみがある。
また、新鮮さがあり、力がみなぎってくるような感じを受ける。
だから、一年の計を立てるのに、ふさわしいのではなかろうか。
「今年こそは」と、決心した時、その結果を
その年の自分の生活に必ず出すことができると言われる。
まさにお正月は、新しい挑戦を開始する時であり、
それ自体が勝利の姿と言えるだろう。
自然界のすべても新しい年へ動き出した。
植物は、風や水を利用し、新天地を求めて旅立つ。
すべてが変化の連続である。
さあ! 新しい年の出発。
一日一日、そして一年一年と、限りなく向上していける人生を
今年も歩んでいきたいと思う。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 12 |
平成20年12月3日(水) |
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山 茶 花(さざんか)
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♪さざんか さざんか咲いた路
たき火だ たき火だ 落ち葉焚き♪
童謡で知られる山茶花は、
秋の終りから、冬にかけて寒い時期に花を咲かせる。
山の茶の花≠ニ書くが、
名前よりはるかに豪華な花である。
特に冬の色気のない景色の中で
赤や白の花色は、
周りを明るく幸せな気分にしてくれる。
病気の友を見舞う時、どうしたら喜ばれるだろう。
ふと目にした新聞に、
ある経済学者が病床に伏した時、元気づけてくれたのは
友人から贈られた運動靴だった
と書かれていた。
早く戻っておいで≠ニ
自分を思いやってくれた心の情景が見えたのであろう。
人は皆、心に希望の種をもっている。
相手のおかれている立場や状況を思い、
どうやって、その希望の種の芽を吹かせ育くむか…
日陽りに咲く山茶花は、
心を温かく包みこみながら人々に希望の花を咲かせようと
励ましているかのようである。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 11 |
平成20年10月31日(金) |
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ザ ク ロ
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宝石のように、キラキラ輝く赤い実をつけるザクロ。
漢字では「石榴」と書く。
これは「安石榴」の略とされている。
「安石」は現在のイラン、ザクロの原産国を意味している。
ザクロは落葉高木なので、
乾燥した夏の強い日光と厳しい冬の寒さが必要である。
6月には赤い花を咲かせ、秋には赤い果実を結ぶ。
日本では、庭木として植えられていることが多い。
二,二〇〇万個の星を再現する超最新のプラネタリウム
「スーパーメガスターU」が注目を浴びている。
肉眼では到底とらえることができない星も映し出し、
国際的に高い評価を得ている。
見えない星≠ノまでこだわった理由は、
肉眼では見えない暗い星々の重なりが、
宇宙の存在感、奥行き感を与えてくれると
プラネタリウムクリエーターは、語っている。
人間という小宇宙の奥行き≠つくるのも、
はたからは見えない「努力」という星であろう。
人知れぬ努力を重ねた分だけ、
人格は磨かれ、自身も光る。
輝かしい人生の栄光も、
たゆまぬ一歩一歩の積み重ねから
勝ち取っていくことを示唆しているのかもしれない。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 10 |
平成20年9月25日(木) |
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彼 岸 花
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さわやかな風が吹く頃。
ある日突然まっ赤な彼岸花が咲き誇る。
この花が咲き始めると、
緑の稲田や土手が急に色づき、空は茜色に染まる。
まさに秋の到来を告げる花である。
彼岸花の別名、曼珠沙華とは一般に広く知られているが
異名も多く地方名を合わせると一〇〇〇種ほどもある。
群生する鮮紅色の花は、
酷暑の試練に耐えた事の証のように
凛として直立している。
花言葉に「想うはあなた また会う日をたのしみに」とある。
これは、花と葉が同時に見ることができない特徴から
「葉は花を想い、花は葉を想う」からきたようだ。
相手を思う慈しみの心。それは忍耐ともいえる。
人間の心には
「感情」はもともと備わっているが
「忍耐」は自分で鍛え創り出していくしかない。
豊かに生きる秘訣――それは「心」の鍛えだ。
まずは、すべての人に感謝できる
謙虚な人間になることから始めよう。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 9 |
平成20年8月28日(木) |
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秋 の 音
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秋の気配を最初に感じるのは風の囁き。
日中は、まだまだ秋とはほど遠いのだが、
朝夕はめっきりと風の存在を実感するような季節である。
夏の蝉が「虫の声楽家」と呼ぶなら、
秋の鈴虫など美しい鳴き声の持ち主たちは
「虫の提琴家」といえよう。
昔は、虫といえば松虫を第一とし、
鳴く虫を総じてこおろぎ≠ニ呼んでいた。
虫の声を機の音にたとえたり、
キリギリスを「機織る虫」と呼んだ人たちの感性は、
季節にも敏感だったことがうかがえる。
心の模様は、十人十色である。
ある時は、苦しみや悲しみの模様、
またある時は、楽しみや喜びの模様を心に刻んでいる。
心にどのような模様を刻むかで
人生も決まるといえよう。
心がすべてを作り出していくのなら、
人のために尽くす行動は、
日々刻々と自身の心に刻まれていく。
それは確かな幸福の絵柄≠ニなって
心の模様を織り出していくのであろう。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 8 |
平成20年7月29日(火) |
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凌 霄 花(のうぜんかずら)
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夏の太陽の下で朱黄色の花を咲かせる凌霄花。
つる性の落葉樹で、
高い木や壁などによじ登り老木は10メートルも伸びる。
一番暑いときにますます背丈を伸ばし、
たくさんの花を次々と咲かす
真昼のシャンデリア≠フようだ。
世間は、
多くのものの相互の関係性によって成り立っている。
遊牧の民は、
星を見て時刻を知り、季節の移り変わりを知った。
そして天空に乙女を描き、竜を書き、ロマンを語った。
人にも同じ様相がある。
人に会い、人と語り、人を知ることで自分が分かる。
そして多くの人と繋がることでドラマが生まれる。
孤立すれば自分を見失い、人生は単調となる。
どんな苦境に直面しても勇気を持って人とかかわり、
前へ前へ一歩踏み出していく生き方でありたいと思う。
今を輝くように咲き誇る凌霄花は、
力強い生命力を秘め天空をめざして
手足を伸ばしているかのようである。
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(伊藤)
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花 菖 蒲
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「はなびらの 垂れて静かや 花菖蒲」。
高浜虚子の句である。
初夏の空の下で咲く、白や紫の色合いがすがすがしい花菖蒲。
勢いが良く、まっすぐに伸びた茎と、鮮やかな色合いの花は、
端午の節句などに用いられている。
ある偉人は美しい花のたとえを引いて
次のように語っておられた。
「美しく咲く花でも香りのないものがあります。
同様にいくら良い言葉を語っていても
それを実践しない人には実りはありません」と。
常に自分を見つめ、言ったことに責任を持って
行動することの大切さを感じた。
花の香りは、風に逆らって広がることはない。
しかし、有徳の人の香りは風に逆らって広がり、
また全ての方向に広がっていくという。
いかなる苦難も、それを乗り越える強い精神力と
行動力を持った人こそ花の王者≠ニして
人々に香りを漂わせていくことができるのだろうと、
しみじみと考えさせられた。
しとしとと降る雨に、ひときわ放つ花菖蒲には
「王者の風格」が漂っている。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 6 |
平成20年5月28日(水) |
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ポ ピ ー
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埋め尽くされた色彩の饗宴、ポピーの花園。
産毛のついた殻から折りたたまれたしわくちゃの花びら。
やわらかく開いていく様は、
見る人の心をなごませてくれる。
原産地はヨーロッパ。
麦畑などに繁殖して農民を困らせることから
“赤い雑草”“悩み”などという呼び名があるとか。
花づな列島とも呼ばれる日本の国。
長い冬の眠りから覚めると
一斉に花のカーペットで覆われる。
やがて新緑が鮮やかに張る。
冬の間は、本当に春がくるのだろうかと思うほど
殺風景だった野や山に必ず百花繚乱の時がくる。
そんな大自然の営みに感動を覚える。
花の温かさ、躍動、そして微笑みが
人の心を開いていくことを、
たくさんの花達から教わった。
人々はさまざまな悩みを抱えている。
あの人にも、この人にも
ポピーの花色のように優しく、温かな風を
贈っていける人になりたいと願う。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 5 |
平成20年5月15日(木) |
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藤 の 花
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「藤・・・」。その高貴で気品に満ちた花穂は、
観る人の心を魅了する。
まさに日本を代表する花のひとつである。
醍醐天皇の時、初めて「藤花の宴」が開かれ、
庶民に親しまれるようになったのは平安時代である。
樹齢と共に上品な香りを放ち、
五百年から千年程経た樹は、
天然記念物に指定されている。
各地では「藤まつり」が開催され、
優雅さと和の世界を堪能することができる。
桜花爛漫の候、人生も経験の積み重ねで、
生き方も豊かになる。
その過程で味わう「感動」から、
生きる力が育まれる。
感動というのは脳の活性が進むことである。
人は年とともに常識的な考え方を身につけるが反面、
新しい挑戦への意欲を失うことになりかねない。
心の感度を磨いて、視点を変え、
日常に挑むなかで
思いもしない感動的な結果が
生まれてくるのかもしれない。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 4 |
平成20年4月15日(火) |
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沈 丁 花(じんちょうげ)
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玄関先で沈丁花の馥郁(ふくいく)たる香りが漂う。
季節の移ろいを感じる春の便りである。
一般的な庭木である沈丁花は、
中国が原産で室町中期に日本に伝わってきた。
花言葉は「栄光」「不滅」。
香りが遠くまで匂うので七里花(しちりばな)、千里花(ちさとはな)の名もある。
周囲に発する匂い立つばかりの香りは、
だれにもとどめることはできない。
人間の社会にあっても、それは同じことであろう。
「匂い」という言葉には、
もともと香りなどのほかに、
人の内部から発してくる生き生きとした美しさ、
華やかに人目をひくありさまなどの意味がある。
目には見えないけれど、
香木(こうぼく)の匂いが伝わるように、
自らの生命の輝きが周囲につたわっていく―。
沈丁花の香りを感じながら、
そんな人格の匂いあふれる日々をと思う。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 3 |
平成20年2月26日(火) |
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水 仙 (すいせん)
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春まだ浅い季節。
水仙が凛とした美しい姿をあらわす。
そこはかとなく、神秘的な雰囲気を漂わせる
この花の原産地は地中海沿岸。
花色は白、黄色と、多くの品種がある。
別名を「雪中花」ともいう。
花の盛りが終わってもなお、
大地の中で球根はしっかりと根を張り、
来る日も来る日も成長を続けている。
成長とは、単に上へと伸び上がり、
手を横に広げるだけではないのだと思う。
水仙の花を見ながら感じた。
「見えない所での格闘と努力こそが、
人間を大きく頼もしくしていく。
人間の成長は見えにくいかもしれない。
しかし、苦労を糧に鍛え、
昨日より今日、今日より明日へと
一歩一歩前進していくところに
勝利の人生を輝かせていくことができる」
ということを。
試練を乗り越え、雪の中に清々しく咲く水仙の花は、
寒さを楽しんで咲き誇っているかのようである。
そして、真の幸せは、
苦闘の中にあることを教えているかのようだ。
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(伊藤)
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春の訪れを告げる梅の花
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厳寒の冬は枯れ木にも似たさまだが、
その枝から確実に咲いたひとひらの花びらは、
強さとたくましさ、そして暖かい優しさを感じる。
万物は皆、寒さに耐えながらも
凍てついた大地のもとでは躍動の春へと
準備が進められているのだろう。
その動きは遅々としているようだが、
だれ人にも止めることができない強靱さと執念を秘めている。
今時代は地球環境をはじめ、
あらゆるものが混迷しつづけている。
先が見えない様相だが、
こういう時こそ未来を信じる明るさが
必要なのかもしれない。
新たな年を迎え“やらんかな”の息吹に燃え立つ時でもある。
過去と他人は変えることはできないが、
未来と自分は変えられるという。
もうこれでいいと思った瞬間から
全身のエネルギーは失われていく。
梅の花には、現状を嘆いたり絶望感にとらわれない強さが
秘められているかのようである。
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(伊藤)
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| ◆ つれづれに想う 1 |
平成20年1月16日(水) |
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南 天

お正月に「難を転じて福となす」
という縁起物として飾り付けされる南天。
無病息災を願う“南天の箸”もある。
また防火・厄除けとして庭先や鬼門にも植えられる。
元旦に立てた一年の計は、ほとんど実行されないと言われる。
それは、人生の目的がわからないで、
一年の計も一生の計も立てられるわけがないからだという。
人は時々にそれぞれの目標をもつ。
もちろん、それは大切なことだが、
その先に幸福があるかというと必ずしもそうではない。
確固たる幸福は、何によって築かれるだろう。
立場や栄誉、お金や物といったものは皆手段である。
真に大事なのは、何のために生きるかという一点であろう。
「わが人生は幸福!」
と言い切るには、人のために心を尽くし、
日々生きる中で幸福を実感してこそではないだろうか。
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(伊藤)
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