トップページ > アガリクスについて
健康によいきのことして今やアガリクスは時代の寵児(ちょうじ)と言えるほど人々に浸透し、普及しました。
アガリクスがはじめて日本に登場したのは1960年代後半。1964年には東海道新幹線の開通、東京オリンピック開催、そして1970年の大阪万国博覧会によって日本は戦後復興を完全に成し遂げた姿を世界に知らしめた時代でもありました。
その日本が誇る国立がんセンター、東京大学など一流の学術・研究機関で精力的に行われていたのがきのこ類の研究です。そしてそのなかでもとりわけ注目されたのが、ブラジル原産のきのこです。
ブラジルで「神のきのこ」と呼ばれていたそのきのこの名は「アガリクス・ブラゼイ・ムリル(Agaricus blazei Murrill)」。
ブラジル最大の都市サンパウロから200kmほど離れた郊外にピエダーテという名の高原があります。以前は野生馬の産地として知られた霧深いそのミスティー・エリアに自生しているきのこがアガリクスです。
正式名を「アガリクス・ブラゼイ・ムリル (Agaricus blazei Murrill)」、和名を「カワリハラタケ、ヒメマツタケ」と言います。
現地の人々は、インカの時代からこのきのこを食べていたと思われます。
アメリカ・ペンシルバニア州立大学のシンデン博士とランバート研究所のランバート博士により、早くも1960年代にこのきのこの成分を学会で発表しました。
わが国における本格的な研究がはじまったきっかけは、ピエダーテ郊外で農業を営んでおられた日系人の古本隆寿氏がこのきのこの種菌を日本に送ってくださったことに由来します。
現在、わが国をはじめ、中国、韓国、ブラジルで栽培されておりそれぞれのブランドのもとにさまざまな形体で普及しています。アガリクスが世の中に広まった当初は、乾燥したきのこを煎じて飲むのが一般的でした。しかし、徐々に粉末や粒状製品、あるいは煎じ液のレトルト製品などが普及していきました。
『アガリクスの栽培工程』
[2014年2月]
[2008/08/08]